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tsugubooks

会社員が、週末本屋さん・tsugubooksをしてみたキロク。清澄白河と下北沢での本屋さん活動や、本の旅のことを。少しずつ整えていきます。

93歳の文学少女が見た景色は

キロク

本の話をしたかった。
どんな本を読んで、何を感じたのか。

一緒に本の話をしたかった。

 

祖母は女学校を出て、百貨店に勤務し、その後企業で秘書をしていた。
仕事はやりがいがあって、尊敬できる上司もいて、本を読む時間もあったそう。
85歳を超えてからは昔話をすることが増え、「秘書ん頃は良かったー、自由で輝いていた時間。」とよく言っていた。(その後には「一番の青春は今だけど」と必ず続くんだけれど。)

20歳でお見合い結婚をしてからは、家族の世話で毎日忙しく過ごす。
そして戦後は、「裕福な呉服屋さんのお嫁さん」から一転、生きていくために、気性の荒い海のまちに移り、店を開き、育ちの良い物静かな祖父を引っ張りながら、店を切り盛りしていた。商売上手で、小さいお店だったけど繁盛していた。スーパーができてからも、負けていなかった。
たまに遊びに行っても、祖母がのんびりしている姿を見たことはなかった。祖母=立ってはたらいている人。座っているのは裁縫のときだけ。

そう思っていた。

 

だから知らなかったんだ、祖母がそんなにも本が好きだったとは。

 

 

わたしが九州勤務になってからは年末年始やGWは熊本の祖母宅で過ごしていたけれど、いつもはたらいていた。買い物やごはん作り、庭の畑の世話以外にも、ひ孫のゼッケン付け、孫のパンツの裾上げ、娘へ果物を送るための荷造り、体が弱い孫が楽しみにしている電話、いろんな人の相談にのること。
18時にはごはんを食べるから、その後3時間は空いてるんだけど、2時間わたしと話して1時間はTVを見ていた。TVが好きなんだと決めつけていた。
実際、祖母はTVを楽しんでいた。楽しむというよりは、TVを通じて社会を見ることを楽しんでいたようだけれど。祖母のTV論はおもしろかった。
(「人の声が聞きたかったのかも」とも、思う。最近は。)

祖母のおうちで本棚を見たことは、無かった。


90歳を過ぎてから入院するようになって、「病院はよかねー、快適よ。ずっと本を読んどっとよー。」とよく電話してきてくれたけれど、わたしがお見舞いに行くと、その間わたしとずっと話しているから、本を読んでいる姿は直接的には見ていなかった。

東京から4ヶ月ぶりに訪ねたときは、棚に本が10冊くらい積まれていて、「どうしたの?」と聞いたら、「あきちゃん(叔母)が持ってきてくれたつよ。」と。叔母は本が好きだから持ってきたんだろう、くらいに思っていた。

「病院の本棚の本を端から読んで・・・」と嬉しそうに話す祖母の声も覚えている。

病棟を移った時は、「ここには本棚がなか」と言うから、祖母にどんな本を読みたいか確認して母に何かのついでに送るよう依頼した。確かに覚えている。

でも、どこかで「本を読む祖母」が想像できず、本当に本当に本が好きだったとは、わかっていなかったのだ。

 

 

昨年の秋、祖母が他界した。
93歳だった。

 

祖母自身のおかげで、良い看取りができた。
祖母は最期まで素晴らしいはたらきをしてくれた。寝たきりになっても、命が途切れてからも、いろんなことがあった。確かに祖母ははたらいていた。さすがだった。

 

告別式の夜、祖母の思い出話をしていたら、母が「お母さんは文学少女だったから。」と言った。
叔母が、「昔は苦労したかもしれんけど、最後は毎日穏やかに本ば読んで過ごしとったし、良かったたい。文学少女に戻れて。」「わたしが自分の本を持っていってたら、すーぐ読んでしもて、次の日には「もう読んだ、もっと持ってきて」って。だから図書館で5冊、10冊って借りて持っていきよったとたい。」「よう内容ば覚えとって、すごかー。」と言った。
最後の1週間、ずっと付き添い続けたいとこも、「ばーちゃん、本ば好きやったもんねー。」と言った。

 

わたしは、何を聞いていたんだろう。
祖母の何を知っていたんだろう。

 

祖母の話を聴くことが、好きだった。
繰り返す昔話は祖母の生きた証で格好良かったし、人間分析はそこいらのコメンテーターよりもおもしろかったし、祖母の話には愛があった。
でも、祖母の本の話は、あまり気にしていなかった。詳しく聞きかえすこともしなかった。
また、わたし自身も祖母宅や病室で本を読むことはよくあったが、本が好きだと祖母に話したことはなかった。

 

祖母が最後に教えてくれたこと。
本というものは時が経っても残るけれど、その人と本との関わりは、残らない。
だから、生きているうちに、話さなければ。
生きてさえいれば、その人と本との関わりを、聞くことができる。
その人が見た景色を、ちょっぴり分けてもらうことができる。

 

 

おばあちゃん、この一年間、熊本にはいろいろありました。
地震、大雨、阿蘇のこと。
大変大変。
みんな大変な中に、います。真っ只中です。
それでもなんとか生きてくれています。

 

もうすぐ法事のために熊本に行きます。
そしたらわたしは、大好きな人たちと、本の話をしようと思います。
ささやかな、しかしもうおばあちゃんとはできない贅沢なことを、目一杯楽しもうと思うのです。

 

 

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譲り受けたミシン。
祖母が座る姿を見るのは、このミシンの前だけだった。